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石塚から野口博士へ送られた博士の母 シカの写真。老いた母の姿と直筆の手紙を見た博士は帰国を決意したとされている。
同じく野口博士の母シカ。当時としても小柄だったが体格に似合わないその大きな手から家庭を支え続けた苦労が窺える。
大正4年、一時帰国された野口英世博士、博士の母シカと恩師小林栄氏、石塚三郎。博士の故郷福島県、弘安寺にて撮影。
シカは博士の無事と成功を祈るため一人で頻繁に弘安寺へ参拝していた。
お礼の参拝を済ませた一行はこの後東山温泉に宿泊し、パプラール誕生につながる一夜を過ごすこととなる。
喜多方郡役所歓迎講演会会場前にて。
世界的な偉業を成し遂げて凱旋した野口博士は全国各地で積極的に講演会活動を行った。石塚もこれに同行し、博士を支援した。
二人は移動中にたびたび撮影し数多くの写真を残した。
野口博士の功績を語る上で欠かせない資料としてなっている。
帰国時の船舶にて関係者と行った記念撮影。
左から渡部鼎、野口英世、石塚三郎、血脇守之助、小林栄。
日本凱旋を果たした野口博士は再度渡米。
その後も博士と石塚は手紙でのやり取りを続け二十余年の歳月をかけてパプラールを完成させた。
石塚の故郷、新潟県長岡市で開業された石塚歯科医院。
高山歯科医院で歯学を学んだ石塚は恩師とともに中国へ渡り、袁世凱の歯を治療するなど評判を呼んだ。
石塚歯科医院開業10周年を祝した写真。
のちに石塚は歯科業界の権威確立のため衆議院議員となり、当時技師の立場だった歯科医を正式に医師として認めさせ、歯学会の重鎮となる。
昭和23年、東京都新宿区内藤町に設立された東洋厚生製薬所。
パプラールの製造、パプラールを利用した診療施設としてスタートした。
パプラール治療による患者の喜びの声は増していき、数多くの礼状が届いた。
写真は、詩人:土井晩翠直筆のパプラール、野口・石塚両名を讃える書。
阿賀野市立吉田東伍記念博物館所蔵
許諾 写資No.160621
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