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会社概要

商  号
株式会社 東洋厚生製薬所
設  立
昭和23年 3月 6日
資 本 金
1,000万円
名誉会長
築地榮一
代表取締役社長
富谷福代
取締役副社長
輪嶋将一
本  社
東京都日野市日野1321番地
支  社
東京都杉並区高円寺北2-4-4 一榮ビル5階
取引銀行
多摩信用金庫 日野支店
北國銀行 東京支店
みずほ銀行 日野駅前支店
三菱東京UFJ銀行 日野市役所支店
事業内容
医薬品の製造及び販売
医薬品の輸出入及び販売
木酢液の製造及び販売
清涼飲料水の製造及び販売
サプリメントの製造及び販売
前各項に付随する一切の業務
特  許
特許番号:3411195号
発明の名称:活性酸素除去剤

活性酸素を起因とする疾患の治療および予防薬またはその原料


特許番号:1617910号
発明の名称:白金又はパラジウムコロイドの製法

白金パラジウムの微粒子を媒体中に分散させる白金属コロイド製剤の製法

加盟団体
パプラール研究会 理事
日本白斑研究会 会員
Antioxidant Unit研究会 賛助会員

会社沿革

大正 4年(1915年)
ロックフェラー医学研究所(ニューヨーク)の研究員だった野口英世博士が、その生涯に一度だけ帰国を果たした際、無二の親友石塚三郎歯科医師に白金・パラジウムコロイド(パプラール)の製剤研究を託する。
以後、米国在住の野口博士から書簡による指示を仰ぎながら、石塚は医薬の開発・研究を進める。
昭和 3年(1928年)
野口英世博士、アフリカのガーナ国アクラにて、黄熱病のため死去(享年51歳)
昭和11年(1936年)
医薬の完成を待たずに亡くなった野口博士に報いるため、石塚は、試行錯誤と失敗を重ねながら、孤軍奮闘の中、ついにパプラールを完成。
野口英世博士と約束を交わして以来、実に21年の時を経て世界で唯一の白金・パラジウムコロイド製剤が誕生する。
昭和13年(1938年)
パプラールの本格製造と販売のため、東京都新宿区内藤町1番地に東洋厚生製薬所を創業。
昭和15年(1940年)
製剤名称『パプラール』を商標登録する。
医薬品製造販売許可申請を、当時の監督庁である警視庁に申請し、製造販売の許可を受ける。
昭和16年(1941年)
本格的製造販売を行う矢先、太平洋戦争が勃発。戦時統制品(軍需物資)である主要原料の白金とパラジウムの入手が困難となり、戦局の悪化に伴い止む無く製造を中断する。
昭和23年(1948年)
株式会社東洋厚生製薬所設立。
初代所長、石塚三郎が代表取締役に就任し、医薬パプラールの製造販売を再開する。野口英世博士の「本当に困った人への医薬を」、という願いに応え、派手な広告宣伝は一切控えるようにし、その社是は現在にも至っている。
昭和29年(1954年)
昭和29年読売新聞朝刊(11月28日付)紙上にて 読売新聞朝刊(11月28日付)紙上に「野口英世博士創案の医薬パプラールが、ヒロポン(覚醒剤)の中毒患者治療の特効薬」と、大々的に報じられる。
昭和31年(1956年)
3月15日発行「リウマチ性疾患の臨床」P.89第5章各論「リュウマチ性関節炎に対して、金療法より、白金パラジウムコロイド製剤であるパプラールのほうが顕著な効果が有り、副作用も皆無である」と評価される。
昭和33年(1958年)
創業者 石塚三郎死去(享年83歳)
昭和36年(1961年)
新薬事法施行。パプラールは、急性胃腸炎、慢性胃腸カタルに対して、薬効のある製剤として評価を受ける。
平成 5年(1993年)
本社および製造工場を東京都日野市に移転。
パプラールのコロイド粒子を改めて確認すべく、電子顕微鏡による測定を同和鉱業㈱に依頼。その結果、極超微粒子(70万分の1mm)のコロイド液剤だと判明し、粒子の細かさが改めて確認される。
平成 7年(1995年)
府立京都繊維工芸大学繊維学部高分子学科にて、京都大学教授牧野圭裕氏の指導によって、活性酸素消去活性の試験を行い、パプラールが活性酸素消去能力を、ビタミンCの数百倍有していることが実証され、国内外から注目される。
大正 4年に野口博士より寄贈された書

大正 4年に野口博士より寄贈された書

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